バブル経済崩壊の恐怖…。あのとき、日本に何が起きたのか?

1980年代にバブル経済が起こった理由とは?

 

バブル時代とは、1986年の終わりから、1991年の初めあたりの時代のことをいいます。
この時代は本当に景気がよくて、仕事がいくらでもあるにも関わらず、人材を集めることができない企業が「人手不足倒産」するほど、浮かれていたものでした。
このバブル経済の始まりは、1985年9月の「プラザ合意」です。
当時の日本経済の発展は著しく、日本からアメリカへ大量の商品が輸出されていました。
品質が良く安価な日本製品が輸入されたことで、アメリカ企業の中に経営が立ちいかないところが増えたこともあり、ドル高是正のための合意を、先進5カ国で取りまとめたのです。
プラザ合意を受けた日本も、円高ドル安にするために、日銀が保有しているドルを円に換えました。
その結果、急激に円高ドル安が進み、日本企業が大打撃を受け、不況に陥ったことから、日本銀行が公定歩合を引き下げたのです。
その結果、企業が銀行から融資を受けやすくなりました。
そして、借りたお金を設備投資ではなく、本業以外に使う企業が続出したのです。

 

日本の土地神話と銀行の安易な融資が本業以外の不動産売買を加速

 

本来、企業が利益を上げた時には、内部留保して、景気が悪くなる時に備えるのがイパン的です。
ですが、当時の日本には「土地神話」があり、狭い国土であるがゆえに、売買できる土地が限られている日本は、経済状況がどうであれ、土地の値段だけは上がり続けると信じられていました。
そのため、銀行から融資を受けた企業が、そのお金で土地を買うという、本業以外での投資に明け暮れたのです。
本業以外で資産を増やすことを「財テク」といい、銀行は土地を担保にさらに融資を行いました。
その結果、様々な企業が不動産売買による財テクに参入したのです。

 

不動産融資総量規制と公定歩合の引き上げがバブル崩壊の引き金に

 

この時期、土地や株の資産価値だけが、異常なほど値上がりしていきました。これを「資産インフレ」といいます。
ですが、日本政府と日銀はこの資産インフレを警戒し、不動産融資総量規制と公定歩合の引き上げに踏み切ります。
その結果、不動産売買で流れる資金が減り、土地の価格が下落。銀行から融資を受けて不動産を購入していた企業や個人は、値段を下げても土地が売れず、返済が滞るようになり、それを受けた銀行も返済が滞ることで企業へ融資するのが難しくなり、融資が受けられない企業は経営に息詰まり、給与や賞与がカットされ、家庭生活にも悪影響が及ぶという悪循環で、バブル経済が崩壊したのです。
日本はこの過ちを、二度と繰り返してはいけないのです。

 

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